説明しない勇気 11
なぜ「考えておきます」と言われてしまうのか?
「こんなに丁寧に説明したのに、反応が薄い……」
「データも揃えて完璧にプレゼンしたのに、『考えておきます』で終わった……」
こうした現場での体験は、製薬会社のMRやMSLであれば誰しも一度は経験しているのではないでしょうか。私もこれまで、大学教授から開業医の先生まで、数え切れないほどの医師と面談を重ねてきましたが、初期のころは“説明”を重ねるほどにすれ違う場面が多々ありました。
しかし、ある原理原則を軸に考えるようになってから、対話の成果がまるで変わってきたのです。
「人は思った通りにしか動かない」——人間心理のシンプルな原則
私たちが普段、先生方に何かしらの行動(例:処方、症例登録、講演会への参加など)を促すとき、つい情報を与えることに全力を注いでしまいがちです。もちろん、情報の正確性やエビデンスの提示は重要ですが、それが相手の中で意味を持たなければ行動にはつながりません。
人が動くとき、その根っこには「自分がそうしたいと思った」という心理があります。どんなに優れた提案でも、相手の思考プロセスを飛び超えて行動を求めてしまうと、拒否や保留という形で跳ね返されるのです。
マーケティング理論で有名なAIDMA(注意→興味→欲求→記憶→行動)というフレームもありますが、これは店頭販売や広告など、受動的な顧客を対象とした流れです。思考の主体性が極めて高い医師との面談では、この直線的なアプローチでは太刀打ちできません。
では、私たちはどんなプロセスで医師の行動を引き出すべきなのでしょうか?
「感じる→思う→考える→行動する」質問型交渉術の流れ
私が伝える質問型交渉術では、次の4つの心理的ステップを重視しています。
①感じる:何かに心が触れる
➁思う:意味づけして自分ごとと捉える
③考える:選択肢や実行方法を検討する
④行動する:自ら決めて動く
この流れは非常に人間的で自然です。たとえば、「寒さ」を感じて、「室温が低いな」と思い、「上着を着ようか?エアコンの設定温度を上げようか?」と考え、「リモコンを手に取る」行動をする、というごく日常的な行動にも当てはまります。
面談においてありがちな「先生、ぜひ一度お使いください!」という言葉は、このステップをすっ飛ばしていきなり④の“行動”を促していることに気づくべきです。結果として返ってくるのはおなじみの一言——③に戻って「考えておきます」。
これは、行動への“心理的な準備”が整っていない状態での提案であるため、相手の内心では「感じてもいないし、思ってもいない」という反発が起きているのです。
「感じてもらう」ために何を問うか?——質問の力を再考する
では、この心理ステップを自然に進めるにはどうすればよいか。
答えはシンプルです。質問の力を使うことです。
質問には、相手の中に「考え」を芽生えさせる力があります。特に医師のように思考力が高く、情報に敏感な相手には、「伝える」よりも「問いかける」ほうが、よほど効果的です。
例えば、こういった問いかけが有効です。
- 「先生の外来で最近、治療選択に迷うような症例ってありますか?」
- 「その患者さんにとって何がいちばん大事だとお感じになりますか?」
- 「それに対して先生ご自身はどんなアプローチをされてきましたか?」
こうした開かれた質問は、「感じる・思う・考える」という心理的段階を丁寧に進ませる“誘導灯”の役割を果たします。
そして、相手の言葉から“感じたこと”を受け取りながら、初めてこちらからの提案が意味を持ち始めるのです。
「考えておきます」を防ぐ最も実践的な方法
行動を引き出す交渉術の最大のコツは、「まだ早い段階で提案しないこと」です。
こちらが説明したくなる気持ちは痛いほどわかります。私も若手のころは、早く成果を出したくて、ついデータを並べ、有効性や安全性のメリットを語りすぎていました。
でも、今ならはっきり言えます。説明する量を減らして、質問する内容を増やした瞬間から、面談の空気が変わります。
質問型のアプローチは、医師に「自分の考えで動いている」と感じてもらう力があります。そして、それこそが信頼関係のスタートラインになるのです。
「動かそう」とする前に、「動きたくなる流れ」をつくる
もしあなたが、最近「面談で手応えがない」「説明が空回りする」と感じているなら、思い切って説明をやめて“伝える情報”を減らしてみてください。
代わりに、「感じる・思う・考える」という3段階のプロセスを意識し、そこに寄り添うような質問を投げかけてみましょう。
行動とは、相手が“自分の意志”で選ぶ最終ステップです。私たちにできることは、その意志を育てる「場」と「きっかけ」を提供すること。
質問とは、行動を強制するためのものではなく、相手の思考と納得を生み出すトリガーです。
交渉術において最も強力な武器は、“プレゼン”や“伝える情報“ではなく、問いかけにより“相手に寄り添う姿勢”であることを、ぜひ実感していただきたいと思います。
プロフィール
杉浦敏夫(すぎうら・としお)
1965年、長野市生まれ。名古屋大学工学部合成化学科卒業後、国内の製薬会社に入社。
プロダクトマネージャーとして大型新薬の上市を手がけた後、学術部、プロダクトマーケティング部、臨床開発部、教育研修部の部長職、営業部門では東京支店長などを歴任する。
日本人を対象としたエビデンス構築の必要性に着目し、多くの臨床試験の企画・運営を主導。そのうち代表的な2つの研究の結果は、国際的に権威のある医学専門誌に掲載され、国内の診療ガイドラインにも引用されている。
数多くのトップ・オピニオン・リーダーとの対話を通じて「質問の力」の本質に触れ、営業力強化の分野で著名な「質問型営業®」開発者・青木毅氏に師事。
現在は、第一線で活躍する営業職やマネージャーを支援する取り組みに注力している。趣味はカメラ、ソフトボール、ゴルフ、温泉旅行。
人気PodCast番組『青木毅の質問型営業』に著者として出演(第540回, 2025年9月19日配信)。
